- 2026年10月 老いをみつめて
- 2026年9月 親しの娘
- 2026年8月 せいれいやさかだい アンケート ②
- 2026年7月 せいれいやさかだい アンケート ①
- 2026年6月 彼のハプニング
- 2026年5月 家族会会長30年の思い
- 2026年4月 今までの45年 そしてこれからの何十年
- 2026年3月 あの日から続く歩み
- 2026年2月 幸せって何だろう
- 2026年1月 娘とグループホーム
- 2025年12月 「息子と二人三脚五十年」
- 2025年11月 娘との楽しみ
- 2025年10月 親の願いを記録
- 2025年9月 今となっては
- 2025年8月 親なき後の安心は
- 2025年7月 架け橋
- 2025年6月 広げてほしいなと…..
- 2025年5月 出会い
- 2025年4月 「こうべかぞくねっと」に望む事
- 2024年9月 元気いっぱいの息子!
- 2024年10月 「娘と30年」
- 2024年11月 障害のある人への感謝とお返し
- 2024年12月 ありがとう
- 2025年1月 長男と孫
- 2025年2月1日 娘との思い出
- 2025年3月 48年間を振り返り 今思うと
2026年10月 老いをみつめて
2026年10月 架け橋
老いを見つめて (出会いふれあいを大切に!!)
我が娘52歳 幼少期は超多動な自閉症児でした。ご縁があってあゆみの里へ入所させて頂き、いつの間にか18年も経過し親の私は後期高齢者となってボケの道を歩んで居ります。若い頃 親は障害児より少しだけ長生きし子供の葬儀を済ませてから死ぬのが理想ネ。と先輩達と話し合った事がありましたが、老いてみれば健康に注意ボケない為にはどう生きるか等etc日々やっとです。
三年前不覚にも我が家の階段から転げ落ち右大腿部を骨折し人口の骨を入れるのとリハビリの為2か月程入院しました。退院後すっかり落ち込んで娘が帰省したら「お母さん ここ痛いからもう歩けなくなるの」と手術後を娘に見せました すると「イターイの、イターイの あっちの山へとんでけ!! あっちの山へとんでけ!! と手術跡を撫でてくれました。
始めての事です。
思えば、4・5歳頃から 他人の家に入って冷蔵庫の食べ物を盗み食いしたり 物干しの乾いている洗濯物を風呂場に持ち込んで風呂水につけ込んだり ある時はH市の屋台店で
おでんをを無銭飲食して警察沙汰になるなど書けば【枚挙に遑がないほどの事】をしながら成長した娘の言葉に涙腺がゆるみました。
50歳すぎてもまだ伸びしろがある?? でも娘の伸びしろばかり望まないで、私も伸びなければと実感しております。
折しも 昨年のひょうごかぞくねっとの交流会のテーマは「家族会の存続について・・」
保護者の高齢化により家族会の存続が難しくなっているとの事、あゆみの里もその通りで本当に寂しくなりました。娘の帰省時 施設の前で顔なじみのお母さんに出合い “今日は”と声かけすると “ ごめんなさい お名前が出てこなくて・・・・・?⁇ ” こんな時だから ふれあいが大事 話合いが必要だと思います。 次回のひょうごかぞくねっと交流会は 是非 参加させて頂きたいと思います。 つながりましょうね。
あゆみの里をよろしくお願い致します。
あゆみの里 宮井征子
2026年9月 親しの娘
2026年9月 架け橋
親しの娘
熱烈なドラえもんフアンで、ドラえもん将棋を買い与えたところ、園内で就寝 食事
トイレ お風呂以外はずっとかぶりつきで遊んで離れず楽しんでくれています。
自閉症の娘は 物は言わないけれど意思表示がはっきりしています!
時々 ランチに連れ出しますが、決まって中華料理店へ行きます!
餃子 焼き飯 黒酢酢豚 かに玉 八宝菜 エビチリ ユーリンチ 食事は遅いが必ず完食します。食後の ゴマ団子や杏仁豆腐も喜んで食べてくれます。
中でもヤキメシが好物みたいです。総合的に中華が好きです。
娘と食事をするのが私の生きがいです。
ひふみ園 廖 庸江(リヨウ ヨウコウ)
2026年8月 せいれいやさかだい アンケート ②
2026年8月 架け橋
せいれいやさかだい家族会 親亡き後への思いアンケート②
前回は、「親が亡くなった後、本人が一番困るだろうと思われること」について、せいれいやさかだい家族会会員の皆様から寄せられた声をご紹介しました。
今回は、もう一つのテーマである 「親が亡くなった後、子どものことで一番心配なこと」について寄せられた声をご紹介します。
テーマ【親が亡くなった後、子どものことで一番心配なこと】に寄せられた声
・ショートステイも使えていないので、親亡き後はどうしたものか不安になります。
・親はグループホームの見学には行っているものの、本人たちがグループホームという言葉に拒絶反応を示しているので、健康なうちに体験させなくてはと思っています。
・上下肢に障害があるため、トイレや歩行に介助が必要だが、そこまでみてくれるグループホームはあるか。
・どこか入居できたとしても、環境に慣れるのか
・生活面とか、楽しく過ごせるか
・独りぼっちになってしまわないか
・何かあった時に頼れる相談できる人が側にいてくれるか
・体調が悪くなった時症状を訴えることができて治療を受けることができるか
・体調が悪くなった時、どこまでグループホームにしてもらえるか
・病気 入院時のお世話はどうなるのか
・好きなことを実現してもらえるか
・上手にお小遣いを振り分けて、ガイドさんを手配して、余暇を回してもらえるか
・グループホームの世話人さんがあまり目にしない身の回りのもの(外出先で使う物、定期入れなど)が壊れたり破れたりした時の交換や修理や新品の購入を誰がしてくれるのか?
・親が気付く細かい処まで、対処してもらえるのか?
・グループホームか施設での生活を希望しているが、年金以外に必要な経費のことが心配
などの声が寄せられました。
寄せられた声には、身体の介護が常時必要な子のケアしてくれるグループホームを望む声や、心配はありながら、親も子も、ともにグループホームへの移行に踏み切れないという声もありました。
また、グループホームで生活することになった場合でも、病気や入院になった時の対応、好きなことができるか、楽しく寂しくなく暮らせるか、お小遣いや生活の経費のやりくりなど、親が担ってきた細やかな支援を誰がどのように担っていくのかについて、不安や心配の声が多く寄せられていました。
せいれいやさかだい家族会
2026年7月 せいれいやさかだい アンケート ①
2026年7月 架け橋
せいれいやさかだい家族会 親亡き後への思いアンケート ①
こうべかぞくねっとが運営するブログ架け橋への投稿にあたり、せいれいやさかだいの家族会では、一人の思いではなく、多くの保護者が共通して抱えている不安や願いをお伝えしたいと考えました。そこで、「親が亡くなった後、本人が一番困るだろうと思われること」と、「親が亡くなった後、子どものことで一番心配なこと」をテーマに、会員の皆様から思いを寄せていただきました。
今回の投稿では、「親が亡くなった後、本人が一番困るだろうと思われること」、そして、次回の投稿で、「親が亡くなった後、子どものことで一番心配なこと」について、寄せられた会員の皆様の思いをご紹介したいと思います。
テーマ【親が亡くなった後、本人が一番困るだろうと思われること】に寄せられた声
・帰るところがなくなることや、生活の環境の変化を受け入れられるか。情緒不安定になるのではないか
・健康維持ができるだろうか 元気でいられるか
・身体を清潔に保つこと
・身辺自立に関する全般
・ストレス発散が上手くできなくなるのではないか。
・「~してほしい」と人に伝えられないこと
・好きな物を食べるとか、好きなことをできる機会が減ること
・やりたいことができなくて、不自由さやストレスを感じるのではないか。
・お小遣いや欲しい物を買うお金の管理
などの声が寄せられました。
寄せられた声には、生活の自立や健康維持だけでなく、親が亡くなった後の環境の変化や、好きなことができなくなることでストレスを感じるのではないか、そのストレスの発散を上手くできるかといった、本人の心のケアに関する不安も多くあげられていました。
せいれいやさかだい家族会
2026年6月 彼のハプニング
2026年6月 架け橋
「彼のハプニング」
「春の訪れと共に六甲デイケアセンターへ通所ハッピー」 彼は1970年(昭和45年) アジアで初めて開催された国際博覧会の「大阪万博」の年に誕生して55才です。
幼少期の頃は2才頃まで病院通いが続き3才でようやく100m以上歩けるようになりました。神戸光生園の卒園の時の色紙には「スポーツ万能」と彼をたたえる言葉がたくさん並んでいました。主人の趣味は山と卓球だったので山へのデビューは主人の背中からでした。小学校2年生からは卓球を始め学校開放を利用させて頂き親子で楽しんでいました。
1995年阪神淡路大震災の前年の夏より「神戸市民福祉交流センター」の体育館で練習をするようになり、半面でバスケットのコーチをしている方から依頼を頂き 5組の親子が加わり練習を始めました。現在は月1回ですが20名程で楽しんでいます。彼を含めて全国大会には何度も出場して金メダルを沢山獲得出来ました。
授産施設の 神戸光生園 ワークセンター兵庫 ワークショップハンナへJRとバスを乗り継ぎ通所。ハンナでは笑顔で欠席も殆どなく楽しく根気よく頑張っていた様です。
ケーキ作りの時は特大のボウルをピカピカに洗つたり、布巾の布に一針一針刺していく「刺繍」を上手にしてさおり織を楽しんで励んでいた様です。
しかし 去年のお盆休みの明けから大好きだったハンナへ行かなくなり8月末に退所。長い在宅期間を経て(沢山 二人で見学させていただいたのですが、全く行く気がなくすべて拒否)、ようやく送迎車のあるデイケアセンターに行けるようになりました。去年2月からお世話になり3か月を経てようやく慣れてきた様子でスタッフさんの手作りのお弁当を楽しみにボランティアの方々にも声をかけたり本来の陽気な彼の性格が発揮されている様です。 これからもハプニングが続くと思いますが皆様方何卒よろしくお願い致します。
Y・K
2026年5月 家族会会長30年の思い
2026年5月 架け橋
「家族会会長30年間の思い」
自立センターひょうご家族会会長に始まり こうべかぞくねっと会長 なごみの里会長と30年間の会長職を今期無事に終える事が出来ました。
微力な私を支えてくださり暖かいアドバイスやご協力を頂いた事に心より感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。
初めは何もわからない所からのスタートでしたが、知的障害のある子供やその仲間の幸せのため熱い想いだけを手掛かりに続けていく事が出来ました。
活動を振り返るとひょうごかぞくねっとが全国的な組織を熱望していた全国知的障害者施設家族会連合会(ぜんしれん)が 2005年(平成17年)京都で設立総会に参加した時のことが1本のローソクが全国に大きな光となると信じました。
2010年第6回全国大会inひょうごが神戸オリエンタルホテルにて開催し矢田市長をお迎えし阪神淡路大震災の神戸市の対応をお伺いました。
2018年第14回2回目の全国開催県で泉房穂明石市長を講師に“やさしい社会を明石から” で記念講演をしていただきました。その際 実行委員長を仰せつかり700名以上の参加の元、成功裏に開催出来た事は実行委員全員による成果だと思いました。今安心して子供を預けているあゆみの会理事長はじめなごみの里家族会のご協力も大きいです。
一人の力は限界があります、しかし 思いが同じ仲間や大勢の支援者のおかげで目には見えない大きな山が動く事があります。そう信じて我が子やわが仲間の大切な今日を楽しんでともに歩みましょう。
次のライフワークは認知症の方やそのご家族の方が今住んでいる地域でその方の尊厳を守りその方らしく生き生きとした人生が送れる神戸オレンジカフェを主催開催のため日々奮闘しています。今年で10年が経ちました。
神戸なごみの里家族会会長 木村三規子
2026年4月 今までの45年 そしてこれからの何十年
2026年4月 架け橋
今までの45年 そしてこれからの何十年・・・・・
昭和53年生まれの47歳の息子 知的障害の自閉症です。言葉もなく多動で走り回り、車道なので「危ないからこちらに来なさい!!」と言っても聞かず危険な方に突っ走る様な息子でした。学園や小学校の先生方 現在まで彼に関わって下さった先生方 保護者の方々 又地域の方に支えられ成長させて頂いたと思います。親の私も先生方 先輩の保護者 同級生の保護者の方々に数え切れない程支えて頂きました。その時々で精一杯頑張って来れたのも彼がいてくれた事が一番だと思います。ガイドヘルパーさんとのお出かけもショートステーも何か所と経験させて頂きました。 親と離れて自立に向けて頑張ってと思っていました。懇談会の時に私がコーチに「彼がショートに行っているのに寝息が聞こえるんです」と話すと「それはお母さんが子離れ出来ていなくて寂しいと思っているのでは」と指摘されて「お母さんの頭がしっかりしている内に彼の次の居場所を考えてあげて下さい」と言われてずっとその事が頭から離れずに2年程過ぎた時 計画相談の方とお話をしている時に グループホームの話が出て「見学に行ってみますか?他の方(保護者)と行く事になっていますので」と言われて「一緒に行きたいです」と即答していました。ご縁を頂き 24年6月末に体験入所を経て7月から入所出来る様になったのです。心配して「大丈夫かしら?」と思っていました。家に居るときは一つ一つ聞いていた彼が支援員さんやお世話人の方に支えられて マスクが無くなれば「マスクがない」と支援員の方に伝えている様です。帰宅しても「マスクがない」と言うので新しい物を持って行かせます。家に居れば言えない事も沢山ありましたが、グループホームでは 彼なりに頑張っているのだと思います。帰宅する事を楽しみに(週一度)精一杯なのだと思うと愛おしくなります。
みちしるべ神戸 WPまや 濱田博子
2026年3月 あの日から続く歩み
2026年3月 架け橋
あの日から続く歩み
27歳になる自閉症の息子は、3歳前に最重度の知的障害と診断されました。その頃、私は育児休暇を終えて仕事を再開したばかりでした。診察室で告げられた言葉に、周りの子との違いの理由がわかった安堵と、わが子が障害児だと知った衝撃が同時に押し寄せ、胸が締めつけられる思いでした。超多動・超偏食・発語なし。思い描いていた育児とはかけ離れた現実の日々。そして、「障害児の親は働けない」という空気に何度も心が揺れ、仕事を続けることは母親失格なのかと自問しました。それでも、社会とつながっていたいという思いが手放せませんでした。保育園に通いながら療育を重ね、地域の小学校へ進学し、ガイドヘルプやデイサービスを頼りに綱渡りのような日々を歩いてきました。今は生活介護「なごみの里」に通い、多くのご縁に支えられています。山も谷もある道のりですが、私らしく息子らしく、景色を楽しみながら歩み続けていきたいと思います。
なごみの里 田端 広子
2026年2月 幸せって何だろう
2026年2月 架け橋
「幸せ」って何だろう?
1年ほど前、このテーマで話し合う機会がありました。それをきっかけに、それまでぼんやりとしていた私の「幸せ」に対するイメージが輪郭を帯びたように感じます。重い障害を持つ息子を産み、息子のこだわりやパニックと日々向き合いながら生きる私は不幸なのか?でも、そんな中でも幸せを感じた瞬間はあったはず…。
これまで多くの支援者、当事者、家族の方々にめぐり会い、その中で支援者のみなさんの温かい言葉や笑顔に「ありがたいなぁ」と感じることがたびたびありました。当事者、家族のみなさんと様々な活動を行い「楽しかった」「会えてよかった」と笑い合ったことが何度もありました。
「ありがたい」「楽しい」「嬉しい」ポジティブな感情を持てたその時が幸せなのでは?ネガティブな感情にとらわれず、ポジティブな感情を大切にして生きてゆくことができればそれを「幸せな人生」と呼んでもよいのではないか?息子は生きにくさを抱えているけれど、これまでもそうであったように、これからも、明るく誠実な人たちに囲まれながら過ごしてゆけるなら、息子の人生もまた「幸せな人生」と呼んでもよいのではないか?
ふと、そのように思いました。
なごみの里 平井 裕子
2026年1月 娘とグループホーム
2026年1月 架け橋
娘とグループホーム
一昨年、思いがけなくグループホームの話が持ち上がり、それも女性のグループホームという事で、迷いながも希望を出しました。そこからは、部屋の壁紙の色はどんな色にしょうか、クローゼットを取り付けるのか、そのサイズは、等々何度も打ち合わせをし、昨年四月からの宿泊体験を経て本格的にスタートしました。
しばらくは、心配していましたが、週末毎に帰宅するときの娘の様子を見ていると、家から参加する休日のイベントにも落ち着いて参加して、以前と変わらない姿です。
グループホームを利用するようになってからの娘は、何か背筋を伸ばして暮らしているように感じます。家では、娘は自分でやらなくても親が甘やかして何でもやってくれるものだ、といった感じで暮らしていましたので、グループホームで支援員さんや世話人さんに手助けしてもらいながらコツコツと出来る事を増やして頑張っています。新しい環境が刺激になったのか、掃除機掛けや、洗濯物を干したり畳んだりしています。音が苦手な娘でしたので、自分で掃除機掛けをしているなんて信じられない思いです。まだまだ伸びしろがありました。いつかは、離れて暮らすことになるので、徐々に準備をして来ましたが、思わぬ娘の成長に感動し嬉しく思っています。
諸先輩方からは、グループホームを利用するようになると寂しくなるよ、と言われていましたが、ゆっくりとお風呂に入ったり、この暑かった夏には夕方に買い物をしたり、時間に縛られることなく私のペースで過ごせるようになりました。余裕が出来ると、娘が帰宅する週末には何をして過ごそうかと、いろいろ考えて私も楽しみです。
初対面の人たちと暮らすのは、気を遣うこともたくさんあると思いますが、皆仲良く暮らしてくれたらと願っています。
神戸市自閉症協会 久保千明
2025年12月 「息子と二人三脚五十年」
2025年12月 架け橋
「息子と二人三脚五十年」
昭和46年息子3歳児健診の時「自閉的傾向」「重度障がい児」と判定されました。
‘‘ 何か変‘‘とは思っていましたが、自閉の意味さえ解っていませんでした。あれから
54年 今息子57歳 私 84歳 なんだか ‟ あつ ‟と言う間でした。
お医者さまから ‘‘健康な子供の中へ‟と 幼 小学 中学と。 ‘‘幼‟ は妹をおんぶして遠い幼稚園へ 小 中は校区の‘‘仲良し学級へ‟ 何度もいなくなって「お巡りさん」のお世話に。「泣いたり」「びっくりしたり」「腹を立てて暴力をふるったり」「発作も年2・3回大きいのがあったり」今も 朝夕 お薬を欠かせません。
又 40年間通所の施設に入園し、令和5年より 入所施設でお世話になっています。
今 つくづく思うに 息子は‘‘不便ですが‘‘ ‘‘不幸‘‘ではないと思っています。言葉を発しない息子から いろいろな事を教えてもらいました。身長 180㎝ 体重65㎏の息子を叱っている時「上を向いて怒るな!!」と主人に云われたり 又先日 娘に私が‘‘弱者”と言ったら 『 お母さん!! 弱者は差別用語よ!!』と『何にも 弱い所なんてない』と…。 あまり意思表示がありませんが、案外思いどおりに生きているのかなー!!と。
今現在 私は公民館で ‘‘お習字“ 歌も好きで歌を習ったり、あと何年生きられるか息子と…と考えながら一日一日を大切にと頑張っています。
こんにちは友が丘 遠藤清子
2025年11月 娘との楽しみ
2025年11月 架け橋
娘との楽しみ
娘は37歳。重度の知的障害を伴う自閉症です。単語である程度の意思表示は可能ですが、いわゆる会話は成り立ちません。こだわりのデパート状態で、どう接したらいいのかわからなくて毎日悩みました。娘は幼い頃から歌が大好きでした。通園施設のばら学園では、言葉はありませんでしたが「おはようの歌」を歌って先生を驚かせました。神戸あゆみの会の事業所に通い始めた頃、移動支援のヘルパーさんが「歌が好きだからカラオケはどうかしら」とカラオケ屋さんに連れて行ってくれました。これが大当たり。以後娘はカラオケにハマることになりました。一方、私は子供の頃お風呂場で歌を歌って親に「ヘタクソ」と叱られたのがトラウマで歌は苦手でした。でもヘルパーさんから娘の楽しそうな様子を聞くと興味が湧いて、娘と一緒にカラオケ屋さんに行くことにしました。初めは娘が歌うのを聞いているだけでしたが、つられて歌ってみることにしました。私が歌えるのは専ら昭和の歌謡曲です。娘は「ヘタクソ」と怒ることなく2~3回聞くと覚えて私より上手に歌えるようになりました。会話もなくコミュニケーションが困難な娘ですが、歌でデュエットできるようになりました。娘のレパートリーは、童謡、アニメソング、昭和の歌謡曲とどんどん増えていきました。私も昔の歌を歌っているとキラキラし青春時代を思い出し、現実の辛いことを忘れられます。何より娘の楽しそうな顔を見るのはうれしいことです。娘とのカラオケが、私にとっても楽しみになりました。「雨に降られてぬかるんだ道でも、いつかはまた晴れる日が来るから」娘と一緒に「川の流れのように」を歌いながら、これまで出会った色々な人たちを思い出し感謝しながら、ささやかな幸せを感じています。
なごみの里 日野滋子
2025年10月 親の願いを記録
2025年10月 架け橋
親の願いを記録
はじめまして。32才息子の母です。彼は話ができません。常に声掛けなど、外出も付き添いが必要です。3歳児検診後幼児施設に通い始め、養護学校、卒業後3年ほど別の事業所に通って、現在は今の通所施設でお世話になっています。
施設では、シール貼りなど作業をしています。音楽療法や健康体操、大好きなドライブなどにも参加してるそうです。いつも美味しい給食もありがとうございます。
これまでに、本当にたくさんの方々に支援していただきながら、いろんな体験ができたことに、とても感謝しています。また、彼を通じて親同士のつながりを持てたことで、私自身とても支えられてきました。そして、今は彼が同じ仲間たちと一緒に、(支援していただきながら)いろんな活動にも楽しく参加するようになり、とても嬉しいです。
外出支援も利用時には、今日はお散歩だよ、と声をかけます。ガイドヘルパーさんに、お店で1つおやつを自分で買う練習をお願いして、行き先もおまかせなので、彼も毎回楽しみにしているかなぁと思います。毎朝靴下履く時も声掛けるのですが「あ、あ(これ、いい⁈)」と言って私にチラッと見せて履きます。将来のために、短期入所を毎月利用しています。アニメのDVDをいつも持っていきます。ある日、盲腸で腸閉塞も併発して入院した時がありました。お医者さんに「相当痛いはずなんだけど、お母さん、気がつかなかったの?」と言われましたが、彼にとって、その痛みに対して訴えることが難しいことがわかりました。彼は突然、パニックを起こすことがあります。話しができないので、なぜそうするのか…理由がわからないと、こちらは戸惑います。なかなかおさまらない時、彼はもっと辛いんだと思います。
将来は入所施設または重度対応のグループホームへ入らせたい!と願っていますが、入れるところがあるのか、気がかりです。今できる事、親の願いを少しずつ記録していこうと思います。
ワークセンターいわや 永江久仁子
2025年9月 今となっては
2025年9月 架け橋
「今となっては」
我が子は現在生活介護施設に通っています。幼い頃はじっとしている事が出来ず、すぐいなくなってしまいます。その為、明るい色の服を着せ、鈴をつけて見つけやすくなるようにしていました。それでも何処へ行ったのか、わからなくなってしまい警察のお世話になった事がありました。迷子だけでなく、奇声をあげたりするので電車やバスに乗った時「うるさい」「しつけがなっていない」と言われる事があり、家に帰ってからよく泣いていました。そんな辛い時期があり、何とか、しなければいけないと必死になって言語訓練や作業療法、水泳教室、キャンプ。障がい者の会などいろんなことに参加しました。
子供は訓練や遊びに中から経験する事で、私は話を聞いてもらったり、相談する事で少しずつ落ち着き、楽に過ごせるようになってきました。今では 走り回る事なく、大きな声をあげることも少なくなりました。 今となっては「あんなこともあったなぁ」と思えるようになってきました。頑張った子供と助けて下さった方々に感謝しています。
神戸市自閉症協会 ゆうちゃんの母
2025年8月 親なき後の安心は
2025年8月 架け橋
親亡き後の安心は
私たちの法人は、事業を開始して14年目に入りました。
現在、知的障がいのある人たち56名の後見人として活動をしています。
13年の間で、亡くなられた方が10名近くおられます。
身寄りのない人は、お葬式もさせていただき、ご遺骨を埋葬させていただきました。
親亡き後の事は、障がいのあるこどもさんを持たれている親御さんにとっては、重大な事だと思います。
こどもより1日でも長生きして死にたいと思っておられる親御さんが多くおられることを知らされています。
私たちは、その願いがかなわず先に亡くなられた親御さんのお葬式もさせていただいた事が何件かありました。
私が、成年後見の活動をさせていただく中で教えられた事は、「親亡き後の安心は成年後見制度を利用することで得られる」ということです。
私たちは、ご本人が亡くなられるまで、ご家族に代わって安心した生活ができるようにお世話をさせていただいています。
先日、施設に入所されていた方が、亡くなられました。
ご両親は先に亡くなられ、父親から遺産の相続を受けて多額のお金をお持ちでしたが、ご本人は重い障害があり、施設生活の中では使いようがなく、多額のお金をお持ちの状態で亡くなられました。私はこのことを通して、お金があっても頼りにはならない事を教えられました。
本人を支援してくださる人の輪を広げる事が大切なのではないでしょうか。その一人として成年後見人を付けることが大切なのではないかと思います。
後見報酬を支払うことが、もったいないとお考えの人がおられるかもしれませんが、本人の財産状況をみて、支払える範囲内の金額を家庭裁判所が決定します。
支払えない人には、神戸市が後見報酬分の負担をしてくれる制度があります。
成年後見について、関心のある方は、当法人にお申し出ください。
問い合わせ先 NPO法人 成年後見・こうべきずな
神戸市北区南五葉1丁目1番Ⅰ-105号
電 話 078-777―8051
FAX 078-778-9850
e-mail kobe-kizuna01@jcom.zaq.ne.jp
(NPO法人成年後見・こうべきずな理事)
恵泉寮家族会 会長 高野國昭
2025年7月 架け橋
心に栄養
長崎といえば、原爆、さだまさし、ハウステンボスが浮かびますが、「旅行バッチは迷子札ではありません。バッチを外して地元の人になりきってお出かけ下さい。」と、添乗員に送り出された先は、長崎ランタン。春節祭。元町の南京街より広く、あちこち全て頭上は○○(ランタン?)で埋められ、喉の奥までみえるほど大きな口を開けた竜は、天に上りそうな勢い。また中国衣装を電飾までまとう巨大なオブジェは、恐いくらいです。期待していた変面ショーは、雪のため交通機関の遅れから観ることができませんでした。後で動画で見たものの、この目で確かめられかったことが残念。〇まきの饅頭をほおばりながら舞台に向かうと二胡の演奏。静香に座って弾くものと思っていたら、踊りながら、歌いながら、蘇州夜曲や、イエライシャンなどの生の演奏に感激。後、浦上天主堂やグラバー園に足を延ばしました。修学旅行以来です。夜の〇想的な天主堂を見上げると何かしら祈りたくなりました。二日目は、九十九島を観光。展海峰の展望台から全体を眺めた後、風や波で出来た島々を遊覧船で巡りました。映画で「釣りバカ日誌」のロケにもあったそうですが、釣り人など見かけませんでしたよ。次は、窯の見学。有田焼も伊万里焼も全く分かりませんが、記念に買おうかと覗くと、一ケタ違う。そうだ使わない器がたくさんあるのに増やしてはならないと理由をつけて、バスに乗り込みました。同行の〇女に飴をもらって、私は二個の飴を立て続けにガリガリと終わってしまう。「次あげるからなめとき。」と渡され、どれくらいもつか時間まで計られましたが10分。彼女は、20分も気長に口の中で溶かしていました。飴の持ち時間は性格だったり、物事の取組みの違いかもしれませんね。博多では土産の総チェック。誰にも買わずに旅行が出来たら、面白さは倍になるのか、それとも半減してしまうのか。他人と生きていく材料として、前者を選び、明日は「ひよこまんじゅう」を配ってから、通常の生活に戻ることにしよう。
清心ホーム 森山安子
2025年6月 広げてほしいなと…..
2025年6月 架け橋
広げてほしいなと…..
息子は現在39歳。(株)いくせい資源リサイクルセンターで手選別の仕事をしています。
3歳の頃、言葉も遅く他のお子さん達と違って、見事なまでに1人になりたがる息子に違和感があり、でも、大丈夫少々発達が遅いだけと言う言葉を期待して発達外来に相談しました。結果「お母さん。この子やっぱり普通と違うよ。すぐ児童相談所に行って判定を受けて下さい。」と言われ、あっという間に、のばら学園に入園。その後、公立幼稚園、小中学校なかよし、高等養護学校という運びになりました。今ではコミュニケーションも取れるようになり、身辺自立もまぁまぁ出来ていますが、やはり協調性にかけ、興味を持つ範囲も狭いので、親としては、友達と遊びに行くなどして世界を広げてほしいなと思っています。でもそれは、あくまでこちらの普通にこだわる願望にすぎないのかも知れません。判定を受けたあと夫とまず話し合ったのは、こちらの価値観を押し付けず、この子が楽しいと思える人生を送れるように手助けしていこうという事でした。
その為に親として出来る事は頑張ってきたつもりですが、これからは私達も自分の老いに向き合い、息子にもいろいろなサポートを受け入れる柔軟性を身に付けてほしいと願っています。
ファーム 森本裕美子
2025年5月 出会い
2025年5月 架け橋
出会い
初めまして、26歳女子の母です。私の育児は、神戸に来て近くに知り合いがいない中、他の子と何か違うという不安、どうしていいかわからないもどかしさを持ってスタートしました。
今は、この子がいる事で色々な方と出会い導いてもらえている事に感謝しています。
中々言葉が出ない子供とコミュニケーションを取る方法を探していた時、子供をよく観察しなさいと言われ、音楽をじっと聴いている姿から歌や楽器など音やリズムが自然と入りやすい事に気づきました。
今も歌を教えてもらい、子供にとって日常生活のストレス発散に役立っています。私自身も子供の好きな事が見つかった事がとても嬉しく、歌っている声を聞くと胸が熱くなる事が何度もありました。
ファームのお料理教室もとても好きで、案内をもらうと必ず行きたいと言います。
中々自分から意思を表さないので、その一言は私にエネルギーを与えてくれてるなぁといつも感じます。嬉しい事も見つかる反面、様子を見ることで難題にぶつかる事も無くなりません。
私達家族は次のステップに向かって子供の生活方法を考える時期に来ています。
また、皆さんの話をお聞かせ下さい。
ファーム会員 岩田靖子
2025年4月 「こうべかぞくねっと」に望む事
2025年4月 架け橋
「こうべかぞくねっと」に望む事
我が子は、今年で40歳になります。5年ぐらい前から、グループホームに入居して、週末に帰省する日々を続けております。
ひとりっ子の為、グループホームへの早々の入居には、私自身の寂しさから、迷いがありました。しかし、毎日穏やかに、楽しそうに過ごしている我が子の姿を見ると、「良かった♡」と心から思います。週末のガイドヘルパーさんとの外出も、心待ちにしている様で、ガイドのスケジュールの用紙をとびきりの笑顔でながめています。
今まで、親子ともども、たくさんの方々にお世話になり、応援して頂いたおかげで、我が子は人生を楽しんいる様に思えます。
幸せなそうな毎日です。障がいのある子に産んでしまった私の罪悪感が、今は全くありません。
さて、私のまわりには、施設入所(グループホーム含む)を希望している、親御さんが大勢います。親が望んでも入所できる施設が、定員一杯のため、入所できない現実があり、親なき後の心配をつのらせておられます。
ですので、社会福祉法人が、グループホームを建設しやすくなる様に、「要件の緩和」「設立に対しての補助金」「設立後の運営に対する給付費の増額」等々を、神戸市や国に働き掛ける取り組みを、こうべかぞくねっとの重点項目にあげて頂き、通所施設にいる会員の方の思いに寄り添った活動や会の活性化を要望します。
これからも、我が子が、楽しく暮らせるように、応援して行きたいと思います。私自身もやりたい事をして、残りの人生を悔いなく過ごします。
なごみの里 伊藤さとみ
2024年9月 元気いっぱいの息子!
2024年9月 架け橋
元気いっぱいの息子
息子は今年40歳になるダウン症です。生誕時、医師から16歳ぐらいまでしか生きられないと告げられ、とても悲しくてなかなか立ち直れない日を送っていました。そのうち医学も進み、あらゆる病気が完治していく中、息子も告げられた倍以上の年齢に達しとても元気です。
2~3歳までは、入退院を繰り返していたのですが、4歳頃保育園からプールに連れて行って頂き、それまで1番怖がっていた水に徐々に慣れてきたので、そのままプール教室に通い始めました。小学校3年生ぐらいまで通って、すっかり水の中を楽しそうにもぐったり泳ぃだり、プールの底に落てる物を拾ったとコーチに渡し、褒められるととても嬉しそうにしていたのを思いだします。それが息子の体力作りに役立ったのでしょうか、40歳の今になるまで、熱を出したり、ベッドで寝込むと言った事は私の記憶にはありません。
食べる事が大好き、毎週土曜日には、DVDレンタルに一人で出かける事が、1番の楽しみになっている息子。現在グループホームと作業所の往復の毎日、週末に自宅に帰って来る事が、本人と親である私達の楽しみにしている生活がいつまで続くかわかりませんが、元気で楽しい毎日が過ごせますように自分達も体に気をつけて頑張りたいと思っています。
三木市手をつなぐ育成会 土井美恵子
2024年10月 「娘と30年」
2024年10月 架け橋
「娘と30年…」
この7月で次女の葵美香も30歳になりました。先輩のお母様方からしたらまだまだと仰かもしれませんが、私にとっては一つの節目に到達したような気持ちになっています。
娘は2歳児健診で発達の遅れを指摘され(のちの診断で重度の知的障がいをもつ自閉症と判明),その後は児童相談所、のばら学園、地域の仲良し学級、青陽西養護学校、青陽須磨支援学校と療養と合わせて日々の送迎、親の会、PTA活動への参加と目まぐるしく動き回ってきました。
その間夫の母がアルツハイマー型認知症を発症し、ダブル介護状態になり何かと大変でした。義母は夕方頃から留守番をしているお宅から自宅へ帰ると言って止めても飛び出してしまうので、娘を置き去りにして捜し回ることも頻繁にありました。
その頃ちょうど娘の卒業後の進路のことと重なり、自分の難聴やアレルギ―など更年期障害の病状に悩まされたりと散々でした。
娘が現在も通っている玉津むつみの家に通所する事が決まった頃、義母の状態も思わしくなく、とうとう娘と押し合いになり転んで怪我をしてしまいました。自宅での介護は8年ほどでしたが、私も限界を感じて安心すこやかセンターに相談に行き、特養ホームの入所を希望すると程無く決まり、義母に対しては申し訳ない気持ちもありましたが、そちらに入所してもらい現在に至っています。
娘は、玉津むつみの家に毎日元気に通い、行動支援のサービスを受けヘルパーさんと公園を散歩したり、お風呂に入ってきたりと落ち着いて過ごしています。幼少期に多動やパニックに悩まされていた事を思うと信じられないような気持ちになります。
私自身は娘の留守中に近くのデイケアで週2~3回程度老人介護の仕事をするようになりました。
悩みや愚痴を聞いてくださる先輩や友達にも恵まれ、適切なアドバイスを受ける事で今は少し落ち着いた暮らしが出来るようになれたのだと思っています。
これからは親なき後を思い娘の自立への道を模索しつつ、不安な気持ちに負けないように頑張って行かねばなりませ
神戸市自閉症協会 岡崎美香子
2024年11月 障害のある人への感謝とお返し
2024年11月 架け橋
障害のある人への感謝とお返し
長男英行は元々双子でしたが、1歳前にひとりっ子になりました。人の命は儚いものだと痛感してからの私の判断基準は、両親の口癖でもあった「それぐらいじゃ死なへん」になりました。長男と過ごしていくうちに「子どもにとっての親とは」「親にとっての子どもとは」「欲とは」「自己満足とは」「障害とは」「人間とは」等々考えることが多く、私自身の半生を見返す機会にもなりました。それからは長男や障害のある人に対し、多くのことを教えてもらったことへの感謝とお返しの日々になりました。
ある時、親以外の人との経験を積ませたいと思いガイドヘルプ利用をある事業所に申し込んだところ「野田さん(親=私)は困ってないから、もっと困っている人(親)に利用してもらいたい」と断られたことがありました。福祉サービスを利用するのは親が困っているから?本人に必要なサービスだからじゃないの?と思った私でした。今でもそうなのでしょうか?本人にとって必要なサービスだから利用できる福祉制度であってほしいと強く願います。
また家族は「障害の世界」だけにとどまらず、仕事や趣味等でいろんな世界に所属してもらいたいと思います。障害のある人や福祉の世界を多方面から見ると、見え方も違ってくると思います。といっても、所詮人間の行動範囲なんて狭くて知れてる、と私の人生の師匠が言ってましたが。
なごみの里 野田美千代
2024年12月 ありがとう
2024年12月 架け橋
「ありがとう」
幸いに私は、39歳になる発達障害・自閉症・知的障害etc.診断名をたくさん持っている息子がいます。 彼には二卵性双生児の弟夫婦がいて、「伯父ちゃんは、照れ屋さんであまりお話が得意じゃないんだね。」と理解してくれる甥っ子や姪っ子もいます。
私たち夫婦は初めての子育てが双子ということもあり、当初から周りに協力してもらい、なんとか頑張ってきました。 そして息子たちは、1歳ぐらいまで身体も標準的で大きな病気もせず順調に成長していると思っていました。 しかし1歳半頃より長男の言葉の遅れ、行動上のこだわりが次男とは大きく異なり始めました。 それからは常に夫婦で話し合い、息子たちそれぞれの個性をそのまま受け入れ、「本人はどうしたいのか?」「どうすれば希望をかなえられるのか?」を主軸に各方面に相談し支援をお願いして参りました。 先ずは何でもチャレンジです。 息子たちへのダメージは出来るだけ最小限になるように工夫や、ねまわしなどはしますが失敗の連続です。 私は悔しくて涙し眠れない夜も多々ありました。 でも不思議なことに失敗も重ねるとその原因・改善策が見えて来たりもするので、これまた凝りもせず、周りの方々を巻き込みながらも再チャレンジする日々です。
今もこれまでも、友人・学校の先生方・各親の会(息子の診断名がたくさんあるので関係する会もたくさんあり複数に参加)で知り合えた仲間や関係機関の方々や各大学の先生方・主治医さん・ご近所の皆さんに支援していただいております。 ありがとうございます。
残念ながら私たち親は年を重ね無理がきかなくなってきました。 個性の塊の息子に「大丈夫?」と気遣わせたり、「これはあきらめようか。」「しゃぁないなぁ。」「がまんやなぁ。」と言わせてしまったりしています。 そう言える息子の成長に驚き、嬉しくも感じますが、同時に息子の希望をかなえてやれない自分のふがいなさを情けなく思うのです。
行政機関を含め障害児・者にかかわってくださる皆様、いつもありがとうございます。
より一層、優しく気長に彼らの希望や困っていることをくみ取り、原因・工夫・対処方法を探り一緒に歩んでいただけないでしょうか。 これからもよろしくお願いいたします。
NPO法人ファ-ム 伊瀬知 雅惠
2025年1月 長男と孫
2025年1月 架け橋
長男と孫
長男(11月末で37歳)のグループホームはコロナが広がり始める最中開所しました。10月には5周年パーティーが姫路のホテルで行われ、利用者さん全員が正装してフルコースを頂き、よそゆきの振る舞いが出来た事を嬉しく思いました。
私と長男は同じ四緑木星で血液型も同じ、食べ物の好みなども似ていて、お互いわかりすぎて〜。問題行動を回避しようと毎日プチ闘いを繰り返した約30年間でしたが、結局負けていたのは私の方だったのかもです(笑)。
そんな長男が入所し、コロナも蔓延して会えない年月が続いて辛かったですが、現在は行動制限も緩み、月1回の帰省をお互い待ち侘びています。3月には家族で沖縄旅行にも行きました。
長男が入所して代わりとはまた違いますが、近くに住む孫が淋しさを癒してくれました。孫に対しては、子供とは違う心の余裕がありますね。
上の孫は4歳9ヶ月で知的発達では抜かれた事も増えましたが、空になったペットボトルを猛ダッシュの人間離れした速さで捨てに行ったり、紙をジャバラに綺麗に折りたたんだり、パズルを天才的に素早く仕上げるおじちゃんを「凄い!」と尊敬しています。
時にライバルの変なおじちゃんを今後もよろしく頼みつつ、孫の成長も見守っています。
神戸市自閉症協会 石野 由香里
2025年2月1日 娘との思い出
2025年2月1日 架け橋
「娘との思い出」
自閉症の娘は2022年9月20日に47歳で永眠しました。昨年3回忌をすませました。 病気が見つかってから、たった3ヶ月で逝ってしまいました。当初は病気に気づけなかった後悔と 喪失感 悲しみと 寂しさでなかなか現実を受け止める事が出来ませんでした。 幼少期は多動で2歳頃に家を跳びだして警察に保護されたり、小学校高学年の頃に一人で1000円握りしめて近くの薬局に行ったものと思っていたら (その頃ある薬の箱が気に入っていました) 1時間近くかかる遠くのスーパーに行ってて、たまたま見つけた私の友人が電話してきてくれた事もありました。 6年程水泳教室に通ったり (結局 泳げるようにはなりませんでしたが) 週1回情緒障害治療教室の生田教室に通級して徒歩訓練等で体力や持続力をつけていただきました。 大人になってからは余暇活動の為に2つのグループに入れていただき、月1回のプログラムや旅行に参加して、いろいろな経験を積み重ねることができました。いろいろ困らせたことや大変なことも沢山あったのに亡くなった今、いいことしか思い出せないのが不思議です。 私はその時々で所属していた所や親の会で役員を務め娘の為と思って活動して来ました。 23歳の時に神戸あゆみの会に 通所して3年、入所17年、グループホームで3年、これで安心できると思った矢先の娘の旅立ちでした。残念でなりません。 今は 娘の残したご縁に感謝して、法人の評議員やいくつかの団体の役員を引き続き務めています。 娘には「ママはもう少し頑張るから待っててネ」と とびっきりの笑顔の写真に話しかけています。
こうべかぞくねっと顧問 呉 珀華
2025年3月 48年間を振り返り 今思うと
2025年3月 架け橋
48年間を振り返り 今思うと
昨年12月48才になった良一 弱々しい産声をあげた良一を抱いた時、ダウン症だとわかりました。しかし 悲痛な気持ちはなく 柔らかな身体を抱きしめ 涙が止まりませんでした。 「本当に小さかったね」 母乳はスポイトで何滴か口に含めるがすぐに噴水のように吐き出す事を繰り返す毎日でした。早々の仕事復帰を考えていたので医師に相談すると身体に異常は見られないが、こども病院を紹介されました。 診察した医師から 「肺炎にかかっている、今まで何していたんだ」と叱責され困惑 (退院して間もないのだけれど…..) 複雑な気持ちになりました。何も言えず そのまま入院する事に。
退院時 「今のところは、何も言えない。 1年も持たないかも知れない」と自宅での家族との接し方、育て方など注意・アドバイスを受け帰宅。 娘が黙って痛いほど手を握ってくれたことを思い出します。 その後は「大丈夫だよね」と言いながら出来る範囲で環境を整え一日一日を大事に過ごしました。一年経ち相変わらず少量の母乳ミルクしか飲めず嘔吐する事もありましたが少しずつ体重が増えてきました。3歳児健診では小さいながらもここまで来たと満足感さえありました。医師「お母さん良く頑張ったね、でも今年いっぱいかな」私「いや 頑張ります」 医師「お母さん 無理しないでね」と言われました。確かに思った以上に遅い発育でしたが、夢中だったので当時の事は今でも忘れられません。今光生園でお世話になり、園生活を楽しんでいる様子を考えるといろいろハプニングはあるものの安堵している自分がいます。しかし 良一の自立に向けた生活はほど遠いと感じています。両親が他界してから私の入院生活が何度かありました。その度にショートステイを経験し沢山の方々に支えていただきました。普段と違った環境で過ごしたことは良かったと思います。と同時に家庭環境が多少なりとも変わった事は事実で精神的な支えの必要性を痛感した次第です。日々の何気ない良一との会話の形も変わり笑顔が少なくなり今までにない無力感に襲われ自責の念が心から離れませんでした。あらためて今後の生活を考え、成年後見人制度の事を考えるように促されたり自分なりに考えたりしましたが、なかなか 一歩踏み出せないでいます。「今年こそは・・・・」と思っていますが・・・・。
神戸光生園 寺澤孝子


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